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内閣府「男女共同参画基本計画」答申に強い懸念 [2005年8月1日(月)] |
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今回の「男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の基本的な方向(答申)」の中で、「社会的、文化的に形成された性別(ジェンダー)の表現等については、引き続き専門調査会において調査を行うこととする」とされたことに「何を今さらと」、情けなさを覚えました。
「ジェンダー」という言葉は確かに日本語ではないので、わかりにくい部分もあるのかもしれません。でも、日本社会の中には、このことばを端的に表す表現があります。「女のくせに、男のくせに」「女だから、男だから」「女らしく、男らしく」などです。このような言葉で、高校や大学の進路を決める時、どのような職業につくのか、結婚して子どもができた時など、さまざまな人生選択やライフスタイル選択の時、親や学校の先生や、周囲の人から、選択を制限されたり、排除されたり、区別されたりしたことはありませんか。
私が子どもだったころ、就職した頃に比べると、今はずい分と変わってきたように思いますが、まだまだ、このような「性にもとづく区別、制限、排除」は、法制度上も、社会的にも、慣習的にも数多くあると思います。
1985年に日本も批准した「女性差別撤廃条約」第一条で、「性差別とは、性にもとづく区別、制限、排除」であると定義され、1995年北京女性会議以降、あらゆる分野でジェンダー平等を実現するとりくみは、国際的にも主流であり、「当たり前」のことなのです。
このような中、日本でもようやく1999年男女共同参画社会基本法を成立させ、日本政府も基本計画に基づいて、諸施策にとりくみ始めました。そして、更なる前進のための基本計画改定議論なのに、「ジェンダーの表現等の調査」とは、何と後ろむきなことでしょう。強い違和感を覚えます。
昨年11月、中山文科大臣が「教科書から『従軍慰安婦』の記述が減ってよかった」と発言。相次ぐ批判の声に対して、「慰安婦の事実は認めるが、当時なかった『従軍慰安婦』という言葉が教科書で使われなくなったことがよかった、と言ったのだ」と苦しい言い訳をしました。
今年になって、閣僚会議で、発言は慎重にと注意されたこともあってか、7月、福岡での講演で「私が発言すると問題になるから、激励のメールを紹介します」と10分にわたり、メールやファックスを紹介されたとか。その中の「慰安婦は売春婦だった。戦地ですさんだ兵士を慰め、秩序を保つための存在として必要だった」という若い女性からのメールに励まされたとのこと。
「励まされた」というところに見事に中山文科大臣の慰安婦問題に対する認識が表れていると思います。
単に「教科書への記述や表現」を問題にしているのではなく、従軍慰安婦問題という人道に対する罪、犯罪を認めず、なかったことにしようという中山大臣の意図がはっきりと見えてきました。
「ジェンダー」バッシングも「慰安婦問題」と同じように、「言葉狩り」から始まり、事実を隠蔽し、ついにはなかったことにしようとでもいうのでしょうか。
自民党の一部の人たちは、男女共同参画基本法の改正もねらっていると聞きます。
この答申にも書かれている「女性も男性もすべての個人が互いにその人権を尊重し、喜びも責任も分かち合いつつ、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮できる男女共同参画社会の実現」のためには、ジェンダー平等と女性のエンパワーメントが不可欠です。今後、この答申を受けて政府が策定する基本計画をしっかり注視していきたいと思います。
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