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コラム
有事関連3法案の採決と私の思い
[2003年6月6日(金)]
6月6日参議院本会議での有事関連法案の採決に当たって、私は最後の最後まで悩みました。

党内では、政府が提出した武力攻撃事態法はあまりに問題が多いとの立場で、何度も何度も真剣な議論がなされ、意見集約しながら「緊急事態・未然防止基本法」の制定と政府案に対する修正案がまとめられ、与党との修正協議がおこなわれました。

私もこの議論に参加してきましたので、政府案に対して最大限の努力をしながら、一定の修正を勝ち取った結果の党の結論がまちがっているとは思っていません。

しかし一方で、自分がこれまで教員として、子どもたちに誓ってきたこと、語ってきたこと、そして、教職員や市民の皆さんと「わが子や教え子を再び戦場に送らない」ために闘ってきたことを考えると、この法案に賛成するということは、自分自身を否定し、子どもたちや仲間を裏切ることになるのではないか、という思いをどうしても払拭できませんでした。

教員になって間もないころ、ひとつの詩に出会いました。
高知県のある中学校教師が1952年に発表されたものです。
戦死せる教え児よ
逝いて還らぬ教え児よ
私の手は血まみれだ
君を縊ったその綱の
端を私も持っていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼―
「お互いにだまされていた」の言訳が
なんでできよう
慙愧 悔恨 懺悔を重ねても
それが何の償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対にー」

私が教員になった1970年代前半、ちょうど福岡県内でも子どもたちに戦争の悲惨さと平和の大切さを語り継ぐために、福岡大空襲や原爆の日を節目に平和授業にとりくもうという機運が高まっているときでした。

戦争体験者、被爆者の方々の話を聞いたり、沖縄や中国、アウシュビッツ、アンネの家などへの平和の旅に参加したり、関連する資料や文献を読み漁ったりしながらいろんなことを学習しました。

戦後生まれの私にとっては、それは授業のための教材研究というより体験したことのない戦争の追体験でもありました。とりわけ戦争の中の子どもたちの様子や当時の学校教育、教師の話は、教員になりたての自分や目の前の子どもたちと重ね合わせて心に迫ってくるものでした。

そのような中で、戦前から教員をしていた母を問い詰めたこともありました。
「教え子を戦場に送るような教育をしてきたのか。なぜ、戦争をとめられなかったのか」
「あの時はしかたがなかった。日本が生き残る道はそれしかなかった」
と答える母と、きびしいやりとりをしたことを思い出します。

戦後、「教え子を再び戦場に送らない」と誓い合った先輩教職員。
私もその後に続き、「あのときはしかたがなかった」と言わないために、「繰り返さないために」、一生懸命子どもたちに平和の大切さを語ってきました。
「日本だけでなく多くのアジアの人々の犠牲の上に日本は反省をして、二度と戦争をしないと憲法で決めて世界に約束をしている。世界中から戦争をなくし、平和な社会を創っていくことが私たちの大切な仕事なのだ」と。

党の決定には従わなければならない。でも自分が子どもたちに語ってきたこと、多くの先輩や仲間の皆さんと誓い合ってきたことを考えたとき、どうしても「賛成」することができない。その狭間でずっと考え続けてきました。

6月6日に本会議場に入ってからも、これらのことが頭の中を駆け巡り、とうとうどちらのボタンも押すことができず、「棄権」いたしました。
参議院議員 神本 美恵子
  
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