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国会活動2004年
2004年2月25日(水)
共生社会に関する調査会
参考人質疑
■参考人(敬称略・順不同)
 三田 優子 (花園大学社会福祉学部福祉心理学科専任講師)
 菊谷 秀吉 (伊達市長)
 武田 牧子 (社会福祉法人桑友理事長)
狩野安・共生社会に関する調査会会長(以下、狩野会長)
ただいまから共生社会に関する調査会を開会いたします。共生社会に関する調査のうち、「共生社会の構築にむけて」を議題といたします。本日は、障がい者の自立と社会参加に関する件のうち、地域生活支援について参考人から意見を聴取いたします。

本日は、花園大学社会福祉学部福祉心理学科専任講師三田優子さん、伊達市長菊谷秀吉さん及び社会福祉法人桑友理事長武田牧子さんに参考人として御出席をいただいております。

この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。参考人の方々から、障がい者の自立と社会参加に関する件のうち、地域生活支援について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。

議事の進め方でございますが、まず、参考人からそれぞれ15分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
それでは、三田参考人からお願いいたします。三田参考人。
三田優子・参考人
こんにちは。今から15分で、大きなテーマなんですけれども御説明させていただければというふうに思っています。
今日は、障がい者の自立と社会参加ということですが、一つのある調査を中心にお話をさせていただきます。その調査結果を基に、それは知的障がい者の方が生活されている入所施設に対する調査結果です。それを一つの導入というか、今日のお話の柱としてお持ちいたしました。前のパワーポイントで説明させていただきたいと思います。(資料映写)

御存じのとおり、2003年から2012年度まで新障がい者基本計画というのが策定されました。その前半の5年間を新障がい者プランというふうに呼んでいるんですけれども、こちらの調査会と同じ共生社会の実現という考え方の下にこの計画が出されました。この計画が出された中には、支援費制度というのも始まりまして、障がい者御本人が利用者として、利用者主体の、利用者本位の支援が始まる記念すべきときだというふうに私たちも理解していましたし、そして、本当にそのとおりになっていただければなというふうに思っております。

中身に関してはもう御存じかとも思いますし、あるいはもう長いものですから全部は御紹介できませんが、赤いところだけです。一つだけお伝えしたいとすると、今まで障がい者プランというのが作られてきましたけれども、そこから新しく新障がい者プランあるいは新障がい者基本計画が作られる際に、やはり世界じゅうの流れを基に、入所施設というのはもう限定しましょうと、目標値を定めずに、障がい者の生活の場はできるだけ小規模化、個室化をというふうになっています。というのは、知的障がい関係の入所施設は、日本以外の先進国ではもう明らかにどんどんどんどん右下がりになっております。スウェーデンを始め幾つかの国では、知的障がい者の入所施設はもう既にゼロになっております。日本だけがいまだに増え続けているものですから。でも、この新障がい者プランあるいは新障がい者基本計画でも、入所施設はもう作らないというふうにはならず、限定になりました。

ほかに、地域でのサービス、ホームヘルプサービスあるいはショートステイというのも一応数値が出たんですけれども、前回のプランに比べてもそうそう大きな伸び率がなく、在宅の方の数を後で御紹介しますけれども、見ると本当に数少ない地域の予算になっております。
先ほどの入所施設は限定すると。限定する、じゃ、どういう場合に作るのかというときに、入所施設は地域の実情に合わせて真に必要なものに限定するというふうに明記されております。
けれども、障がい者本人たちは入所施設が必要かどうかを判断するのは利用者ではないかというふうにずっと運動してきましたし、今も言っておりますが、その地域の実情というのがいわゆる今までと同じように本人の意思にかかわらず施設が増えたり、あるいは入ることになったりということがこのまま継続するということになりかねないという危惧を障がい者の方が言っております。

数値目標は立てていないんですけれども、厚生労働省に問い合わせましても、この支援費始まってからの昨年の4月以降の入所施設の伸び率についてはなかなか教えてくださらなかったんですが、いろいろ足を運びまして調べたところ、現にこの4月以降も新規のものが増え続けております。どうも入所施設作られそうもないみたいといううわさが流れたのか、駆け込み入所施設オープンというのが随分今進んでおりまして、すごい勢いで増えております。
今後も増えていく背景には、平成15年度までに策定された各都道府県の障がい者計画に入所施設を整備、設置すると書かれてあれば国の方もこれを補助すると言っておりますし、あるいはこれも全国で増えているんですが、親の会の人が1人5百万とか1千万のお金を出しまして、ある程度準備をするのであとはお金をくださいというような形の場合にはなかなか断れないということで入所施設が増えております。

関西のある県でも、4月以降に3つの入所施設がオープンしましたが、1人5百万から1千万のお金を出したにもかかわらず、その2割しか入所者が充足されておりません。御本人、お母さんたちにお聞きになったら、保険としてお金を出して、うちの子はここには入れたくないという状況で、しかし一か所の入所施設が作られるのには莫大な予算が作られているということを考えると、本当にどこもお金は大変だと思うんですけれども、使い方っていうのかななんて思ったりもしております。

すみません、もう分かり切っていることかもしれませんが、障がい者はこのように三障がい、身体、精神、知的とありまして、全部で約6百万ですので、国民の20人に1人というふうに言われております非常に身近な問題なんですけれども、うち入所率が一番この中で高いのが知的障がい者となっておりますので、その入所施設の調査結果をお伝えしたいと思います。

今日のテーマでもあります自立と社会参加ということですけれども、自立という言葉が近年の障がい者御本人からのいろんな声も出ておりますし、今日お配りした本も後で時間があれば触れたいと思いますが、何もかもできるようになってから地域で暮らせるとか自立というふうには、もう障がい者自身もそこからとらわれないようにしようと。できないことは助けていただいて、そして30年も入所施設の中で字が読めるように訓練をしてから外に出るのではなく、地域で字が読めなくても生活できるように援助していただければ私たちは暮らせるんだということを言っております。エンパワーメントというのは、やはり障がい者の方がうちに秘めているいろんな才能を訓練、指導の下に見えなくなってしまうのは損ではないかと私自身も思っています。
 しかしながら、集中する入所、あるいは精神科の場合では入院に掛かる予算が莫大なものでありますので、地域にきめ細やかなサービスが十分ではないというふうになっています。
 この調査ですけれども、平成13年度から厚生労働科学研究班でやらせていただきましたが、全国で1,475か所にある知的障がい者の入所のうち7割の施設から回答を得まして、入所者全員についてどのような実態であるかということを教えていただきました。これを基に新障がい者プランへの提言も行いましたし、私が所属しているこの研究班の特徴は、知的障がい者御本人が半分を占めております。障がい者御本人と研究を進めてまいりましたので、この結果を基に知的障がい者の方から提案もいただきましたし、その方たちの半数以上は入所施設体験者でございますので、このお金の使い方に対しても意見が出ております。

全部説明する時間はないんですけれども、入所者6万2,855人の内訳を見てみますと、多岐にわたって長期に入所されている方もたくさんいらっしゃいます。新しくまだ今も入り続けているという状況です。その方たちが入所施設から出ていっている状況というのを見ますと、大まかに見ますと全体の2%しか地域には出ません。入所施設は本来、指導、訓練をして地域社会で暮らせるように支援する更生の場だというふうに言われてきましたけれども、その移動は年間2%、うち半分は他の障がい者施設や病院、病院は老人病院と精神病院です。それから三番目に大きな退所の理由が死亡となっております。死ぬか、ほかの施設に行くか、病院に行くか以外はなかなか外に出れない。残りの、全体の1%というのは地域に出ているんですけれども、うち半分が家庭に戻されるということで地域サービスを整えてということではなく、高齢化した後に家庭に戻されるということもあるようです。

職員と入所者との関係を幾つかお聞きしましたけれども、知的な障がいを持っている方、コミュニケーションが難しいというふうに言われておりますけれども、ということが施設の職員の結果からも分かってきました。もちろん説明、確認をしているんだけれども、元々御本人に意向を聞くというのはなかなかできていないというような実態も明らかになっています。

つまり、御本人がここから出たいという意思表明をしてくれればまだはっきり分かるんだけれども、何も言ってくれないので聞いても分からないと。こちらに返ってこないので仕方がないというふうに言っている専門職員の回答が43.3%です。ですから、30年間ずっとそこにいるままという方が生み出されているのかもしれません。

次の予算比較は非常に乱暴な予算比較です。というのは、こういう形で厚生労働省の方で予算についてのグラフを幾らお願いしても出していただけないようです。いろんな流れがあるようなんですけれども。それでこちらで調べまして、13年度分までグラフに書いておりますが、14年度、15年度についても似たような傾向になっています。要は、オレンジの部分が知的障がい者福祉予算の、つまり7割、8割に当たる部分が入所施設関係で占められています。これは設備費、設備整備費を引いておりますので、かなりの部分が職員のお給料になっているわけです。入所施設のお金がこれだけ使われているところに知的障がい者の3人に1人の方がいます。あるいは、成人の場合は3人に1人ですが、児童になりますと3、4人に1人、3.5人に1人ぐらいです。つまり、施設に入っている方以外の方がその倍以上いるのに、3分の1の方のために予算の7割以上を使っているということから地域のお金が貧しいということになっているんじゃないかというふうに思っています。ノーマライゼーションとうたわれていますけれども、お金の配分は全然変わっておりません。これは支援費になりました今年度を見ても同じ状況のようです。

5年以上入っていらっしゃる方の理由は、やはり社会の適応問題、作業能力がなかなか十分ではないから出せない、あるいは社会で適応できないから地域に出せないと、非常に御本人さんの能力についての意見が多いです。
では、それで一方で施設にいらっしゃる方の多数は中軽度者なんです。障がいが重い方ばかりではないんですね。中軽度者の方が、じゃ中で何をしているんだろうというふうに調べてみましたら、1,004ある施設のうち、755施設は中軽度者は配ぜんのお手伝いでどうもお忙しいようです。それから、他の入所者の清掃を中軽度者の方が施設の中で行っておりました。他の入所者というのは限りなく重度の方です。重度の方の身辺介護も中軽度者が行っていて、おふろに入れたりおむつを替えたり、食事の介助をしたりということを同じ入所者である中軽度者が行っているという実態が明らかになってまいりました。
どちらにも今まで措置費というお金が使われまして、措置費の対象者でありました。そして、入所者という意味では同じなんですけれども、中軽度者は非常に忙しかったです。それをちゃんとこうやって回答したところがすごいなと思ったんですけれども、これを海外の研究者に訳しましてお伝えしましたら、ほかの国々ではこれを人権侵害と呼ぶというふうに言われました。つまり使役です、施設の中で。
この点呼係をしたり身辺介護をしたり、見守りができるんだったら、地域でお金にならないのかと私は思いました。ここの方が高齢になったら、また軽度の方に見守られ、身辺介護をさせられるという、この悪循環を断ち切らなければ入所施設からは出れないと。

施設はこのことについてどう思うのかというふうにお聞きしましたら、やっぱりこれが訓練の一環だという考え方です。施設の中でいろいろなことが行われているという、私たちから見たら人権侵害と思われることが本人の訓練のため、この訓練によって社会に出られるということなのかもしれませんが、先ほど言った適応能力がない、あるいはいろんな作業能力が乏しいと言われた方がちゃんと重度の方の面倒を見ているわけですね、施設の中で。これは非常に大きな問題だと思っております。

正直にお答えになっている施設もあります。頼りになっている、あるいは重度者ばかりでは限界がある、中軽度者はずっと施設にいてほしいというのは非常に正直な回答ではないかというふうに思いますが、人手が足りないのだから仕方がないという回答もあり、しかし予算の7割、8割を入所施設が使っているということになると本当に一から使い方を見直した方がいいんじゃないかと思いまして、同じ研究班にいる当事者の方たちと一緒に、昨年の今ごろですが、記者クラブで記者会見をさせていただきました、研究の成果として。くしくも、そのころは厚生労働省の周りを身体障がい者の方が囲んで、ホームヘルプに関する上限問題だとか一般財源化ということがあったときなんですけれども、知的な障がいを持つ方たちが私たちの意見も聞いてほしいということでこの調査結果を基に提言を行いました。文章はとても分かりやすいです。私は打っただけで、言葉は知的な障がいをお持ちの方が言われたことをまとめました。

一番。支援費制度になっても、自分で住みたいところに住めません。入所施設はまだまだ増えています。入りたくないのに入れられてしまう。グループホームも足りない。増やす数が少な過ぎる。そして三番。どう私たちの思いを聞いたらいいか分からない職員が多過ぎるというようなことを言っております。
また、これも端的に表しておりますが、国はお金の使い方が間違っています。
入所施設の職員は何もしなくても高い給料をもらっていると。これは記録に残りますけれども、私が言った言葉ではございませんので、知的な障がいをお持ちの方が言っておりますので、風当たりが随分強いんですけれども。大切な地域の支援には真剣にお金を掛けていない。地域の支援を待っている人は施設に入っている人の数より多いということです。どうして入所施設ばかりにお金を回すのか私たちに説明しない。新しいプランを作ったけれども、今までのお金の使い方を反省していない。私たちの暮らしや思いを分からない人が使い方を決めている。ちゃんと私たちに聞いてください。

今日お配りしたこの赤い本、時間がないので後でお読みください。たしかどなたかが書かれています。総理大臣も入所施設に一度入ってごらんなさいというタイトルで文章を書いておりますけれども、本人たちから手厳しい言葉が出てくるようになってきました。要望です。これも御本人の言葉です。
入所施設を減らす計画を立ててください。具体的に数字を言ってください。でないと少しも変わりません。国が貧乏なら、一番お金を使っているところからカットしてください。厚生労働省の人も、自分だったら入所施設に入りたいかどうかを考えながら仕事をしてくださいと。かぎ付きの中で30年暮らしたという方たちがこういうことを言っているわけです。
それから、グループホームやホームヘルプは何よりも大切なものです。ここにお金を掛けてください。地域は無理だから施設に入りなさいとか、あちこちに動かされるのはもう嫌ですと。障がいが重くても年を取っても、町の中で住みたいのです。あちこち動かされるたびに新しい訓練が始まるのはたまらないということです。
ちょっと次をカットしまして、四番。人権侵害を平気でやっている施設をそのままにしているのは国の責任です。当事者をオンブズマンにした制度が必要です。
五番もカットさせていただいて、済みません、時間が過ぎております。
全国の仲間へ。どこに住みたいか、どんな支援が必要か、どんどん自分の思いを言っていかないと、今までと同じように勝手に決められてしまいます。身体障がい者の人たちも命懸けで抗議しました。私たちも我慢しないでおかしいともっと言っていきましょう。私たちが主役だからですと。

次にあるグラフは、三番目に、今日お話をしていただけると思うんですが、精神障がい者の状況も同じような状況です。障がい者福祉に関してグラフを作りますと、どうも日本だけがいつも全く別の動きをしております。精神科の病床も千人当たり増え続けているのは日本だけです。平均在院日数が増え続けているのも日本だけです。全く別の道を歩んでいると。知的障がい者の入所施設も同じことです。

最後に、まとめとしまして幾つかのポイントをお書きいたしました。
今までお話しした中で、御本人からは厳しい言葉もありましたが、専門的な援助を提供する入所施設というところで権利擁護がずっと続いているということもあったり、あるいはずっと出さないでいるということ自体、そして中軽度者の先ほどの実態そのものが人権侵害ではないかという動きがあるということが一つです。

専門的な援助とわざわざかぎ括弧を付けさせていただいたのは、ちょっと余りアカデミックな報告でなくてお恥ずかしいんですけれども、同じ研究班の当事者、知的障がい者御本人から、全国の入所施設の職員の平均給与を調べなさいと命令されまして一生懸命調べました。少なくとも県立、県営で全国にできてきたコロニーと言われている各施設の平均給与を調べさせていただきましたところ、全国の平均給与は9百万を軽く超えておりました。職員の平均給与です。幾つかの施設では軽く1千万を超えている職員の平均給与というのがありまして、一部はある新聞でも出ましたけれども、これがこの結果で出てきた専門的な援助を提供する職員の集団なのかということは、本人たちは非常に立腹いたしまして、それこそお金の使い方を考えてほしいということです。専門職としての技能を見直すということはもちろん、お金、つまり予算の大半が入所施設に使われ、その大半が職員給与だということを考えると、ここを改革しなければいけないというふうに思っています。

時間がない中で私からの一つのお願いは、ずっと私自身もこのことについては研究班を超えていろんなところでも言ってきたんですけれども、予算の在り方として、入所施設にかかわるものは義務的経費と言われております。そして、ホームヘルプやグループホームと地域支援にかかわるものが裁量的経費ということになっておりまして、この裁量的な経費の方がどんどんどんどん今カットされております。義務的経費に関しては手が付けられないというふうにおっしゃいます。それについては手を付けなければ、手を付けられるようにならなければ日本ではノーマライゼーションはあり得ないと思っておりますので、これは私のような下っ端の研究者では何にも役に立ちませんので、この辺を、どういうふうにお願いしていいのか分からないですけれども、変えていかないと、いつまでも入所施設の予算はそのまま、どんどん今から建て直されて残っていくということがあります。

自立というのは障がい者本人が自ら選び決めていくもので、入所施設に措置されたままそこで死んでいくということで自立も何もないだろうと御本人たちが言っております。入所、収容の存続自体が社会参加を推進しないというふうに提言させていただきます。社会は障がい者の存在で潤うという実態もたくさん今出てきておりますので、そのことがもっともっと語られるようになったらいいなと思って、その前段階としてこういう本を作らせていただきました。

最後に、玉木さんという方、身体障がいをお持ちの方が、自立生活センターをやっていらっしゃる職員でもあるんですけれども、私たちの権利ということで知的障がい者むけに十の権利を今伝えてくださっています。知的障がい者の方たちは目からうろこの状態でこのお話を聞いております。
自分のやりたいことをはっきり言って、それを優先する権利があなたにあるんだと。優先という言葉でみんな分かんなくなっちゃうんですけれども、玉木さんが上手に説明してくださっています。みんな初めて聞いたと言いました。人の言うことを聞いて自分の言いたいことを言わないのがいい障がい者だというふうに言われてきたと、かわいがられる障がい者になりなさいと言われてきたと御本人は言っておりました。

それから、四番の危険を冒す権利。社会にいたら失敗することもたくさんあるので、危険を冒すということは次に危険を回避できるんだから、やってみようよいろんなことをというふうに言われました。

それから、自分だけの考えを持つ権利。持てないんではなくて持たされなかったということを気付いていいんだということを言い始めております。
パワーポイントは以上でございます。

この本の中には、21人の知的障がい者の方が実名で自分たちの体験をお書きになりました。最後まで実名で施設名と職員名を書きました。出版社の方が負けました、ちょっとまずいということで。ですが、御本人さんたちの体験を読むたびにどきっとさせられることが多いです。半分以上の方は字が書けません。聞き語りで私たちが書きました。この本の特徴は、一般書店で一般の方が圧倒的に買ってくださっています。福祉関係者ではなくて一般の方が、日本で障がい者はどこにいるんだというふうに思っていた方が買っていただいて、ここに税金が使われているということはどういうことなんだろうというアンケートも寄せてくださっているということになっています。やはり、御本人の声を聞きながら社会参加、自立ということを考えていかなければいけないというふうに思いました。
早口で申し訳ありませんが、以上で発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。
狩野会長
次に、菊谷参考人にお願いいたします。菊谷参考人。
菊谷秀吉・参考人
ただいま御紹介いただきました伊達市長の菊谷でございます。
今、三田さんのお話を聞いていまして、深い共感と共鳴を覚えました。全くそのとおりだなと思いながら聞いておりました。
私どもの伊達について若干お話をさせていただきたいと思いますが、まず2000年の有珠山噴火に際しましては、伊達市に災害対策本部が置かれたということもございまして大変国の関係機関にお世話になりました。その関係もありまして、昨年11月に国の防災センター、防災モデル事業でお金をいただきまして防災センターを完成をして、次の噴火に備える体制がようやくできたというところでございます。それでは、本題に入らさせていただきます。

まず初めに、伊達市についての若干の概要を説明させていただきます。伊達市は、明治3年に、仙台藩一門、南になりますけれども、亘理という町から領主の伊達邦成とその家臣たちによって開拓がされた町でございます。それ以前にも、約7千年前から縄文の遺跡群がたくさんございますし、またさらに平安中期にできたお寺がございまして、これは江戸時代に、当時の幕府が先住民のアイヌの方々を教化するための蝦夷三官寺として開かれたお寺でもございます。それだけに、北海道内におきましては比較的早くから歴史が開けた町でございまして、最近は道内外からたくさんの定年退職者が移り住む町でございます。これは本州からも相当来てございます。それだけに、人口3万6千の町としては高齢化率が非常に高くて、大体1月で0.1ぐらいの高齢化が進むという町でございます。ちなみに、平成15年の12月は24.75ですが、1か月後には24.85になってございます。

次に、障がい者との取組でございます。
伊達市は知的障がい者と早いときからむき合ってきたということもございまして、その点について若干触れたいと思います。
昭和43年に、北海道が、知的障がい児、障がい者の一貫した処遇を目指したモデル施設として、全国に先駆けて総合援護施設として北海道立太陽の園を伊達市に建設をいたしました。当時、12の市町村が誘致に名乗りを上げたというふうに聞いております。いろんな条件が出されて最終的には伊達市というふうに決まったというふうに聞いております。昭和43年8月8日に、定員4百名、通所が20名で、合計420名でスタートをいたしました。当時は施設が余りございませんでしたので、太陽の園に入るということは大学に入るよりも難しいと言われたぐらい待望久しかった施設だというふうに聞いております。

当時私は高校生でございまして、ほかの町に下宿して、休みに帰省すると、当時の伊達市は、伊達町でしたけれども、「みどりと太陽のまち」というキャッチフレーズを使っていまして、よく町の人がこんなことを言っていました。緑と太陽とばかの町と言われた。それほど、差別が若干あったんじゃないかなと思いますけれども、それが最近、最近というか随分変わりまして、施設を出て町で暮らすという本、先ほど三田先生からお話あったように、近い本ですけれども、その中では、障がいを持つ親の方が、伊達の駅に降りるとほっとするというまで言われる町になりました。それについて少しお話をしたいと思います。

このきっかけは、入所した本人たちが一日も早く施設を出て町で暮らしたいという強い願いでございました。それで、この太陽の園が入所者の社会自立を進めるということもございまして、進めようといたしましたけれども、親の方から、せっかく苦労して施設に入ったのに、もし社会に出て失敗したらどうするのかということで大きな反対が起きました。そのときに、その太陽の園の施設の方々が、本人の願いと家族の不安という相反するテーマに対しまして親たちを説得をするわけでございます。その説得をいたしまして、ようやく町で暮らすための準備が始まります。昭和48年に伊達市立の通勤センター旭寮ができまして、ここでまず町で暮らすための準備をして、それから順序よく町に暮らすという段取りになったわけであります。実際に通勤寮を出まして援助付きの住宅ができましたのが昭和53年でございます。当時、グループホームなどという制度がありませんでしたので、試行錯誤でいろいろやりながら進めてまいりまして、ようやくその後、制度が後からできるという状況でございました。
そういった変遷を経まして、平成10年に地域援助センターらいむというのができるわけであります。

皆様のお手元の資料の「まちに暮らす」というピンク色の冊子がございます。これが仕組みを書いてございます。それができまして、ようやく体制ができたということでございます。今の現在の状況でございます。
皆様の資料の10ページを、このピンクのやつの10ページをお開きいただきたいと思います。その10ページの次のページに、ページ振っていないものですから、地域生活支援システムというのがございます。横になっていますけれども。これに基づいてちょっと説明をしたいと思います。

町で暮らすためには五つの最低の条件があると言われております。
一つは、暮らすという住宅ですね。この問題につきましては、お手元の資料の「暮らす」というのがございます。これはいろんなタイプの住宅環境がなければ現実には暮らすことができません。そういうことで、グループホームだとか生活寮、ケア付きホームなどがございます。
その下の一番下に太陽の園地域生活実習ホームというのがございます。これは太陽の園に入所している、先ほど4百名と言いましたけれども、そのうちの町で暮らせそうな人は実習ホームにまず出て、それから次のステップに上がっていくという仕組みになっております。

そして、二つ目は、就労の場でございます。福祉的就労だけではなくて、企業就労もなければ、伊達市で約3百名弱の方がおられますので、現実には無理でございます。これも受け入れるために昭和56年に西胆振心身障がい者職親会、西胆振というのは地域名でございます。伊達市を中心に六市町村で西胆振という地域の全体の呼称がございまして、これに約40社の参加をいただきまして、この職親会というのができました。これは障がい者の方が企業就労する会社の会でございます。こういうものが増えまして、現在73社が参加しておりまして、51社が実際に就労を受け入れています。この会に入っていない4社もございますので、企業就労は55社になっております。ここは毎年新規の就職者とか、あるいは勤続者を表彰しながら、パーティーをやりまして、御両親だとかあるいは本人とか、あるいは職親会のメンバーとかということでいろいろ取組をやってございます。

もう一つここで大事なことは、皆様のさっきのピンクの資料の一番最初のページをちょっとお開きいただきたいと思うんです。これは先ほど「暮らす」ということで説明をしましたけれども、この図面というのはほぼ伊達市の中心の中心でございます。中心の中心にこういった生活する場がございます。そして企業就労する場がこの周辺、これもちろん中心もありますけれども、周辺にございます。

私なんかも毎日仕事に出掛けるときに、必ず知的障がい者の方と会います。当然皆さん歩いていたり自転車で通勤いたしますから、日常的にこういう姿を目にいたします。これが実は自立に大きく影響しているんではないか。つまり、暮らすということと、就労というこの企業就労が非常に大きなウエートではないかなと思っております。

三つ目には所得の保障でございます。
これは障がい者年金の問題ももちろん重要な課題でございます。そこで私が一番今心配していますのは、かつては知的障がい者、余り長生きしないと言われておりましたけれども、最近は随分長生きするようになりました。そうすると、先ほど三田先生の話もございましたけれども、高齢化という問題が次の大変重要な問題になってくるんではないのかなと、こう感じております。

それから4つ目は、余暇活動の充実でございます。
私も知的障がい者というイメージだけで物を考えがちですが、実は私、元々民間出身で行政経験がございません。市会議員三期やりましたけれども、正直申し上げて福祉と余り関係のない立場でございました。実際にこういう立場になって5年になりますけれども、いろいろお会いしたり話をしますけれども、知的障がい者といっても相当、軽度の方は知識とか水準が高いと思います。それだけにこの豊かな暮らしというのが非常に重要なポイントになるんではないのかなと、こう思います。

伊達市は、何か特に特筆すべきなのは武者太鼓というのがございまして、これは市のいろんな行事があるときにいろんな団体が、障がい者が太鼓打つんですけれども、呼んでくれていただけます。いろんな発表の場がございます。これもう非常に大きな励みになって中身が非常に良くなっているんじゃないのかなと、こう感じています。

最後の五つ目でございます。
これはもう一度戻りまして、10ページの次のページですね、支援団体というのがございます。これは適切な援助の保障がなければ実際に町で暮らすということは困難だと思います。この支援団体はほとんどがかかわる方、親の方とかいろんな方が、かかわる方ばかりでございます。これにもう一つ大事なことは市民の協力と理解だと思います。先ほど暮らすと働くで申し上げましたけれども、こういったものが大きな要素になっているんではないのかなと思います。

さて、この五つを地域としてどうこたえていくかということが大変重要な課題でございます。
先ほど申し上げましたように、最初施設ができたときには随分偏見もございました。しかし、一番大事なことは市民自らが慣れるということが非常に大事だと思うんです。ですから、先ほどもお話ありましたように、施設に閉じ込めるということは理解を減退させると、差別を助長すると、私もそう感じております。それだけに町で暮らすということを仕組みとしてやっていかなきゃいけないだろうと。その仕組みを作るためには、申し上げた五つのポイントがあるのではないかなと感じております。

最後に、今後の課題について申し上げたいと思います。
多分、武田さん、後ほどの武田さんからお話もあるかもしれませんが、問題なのは、国の認可のグループホームに直接入居する場合は問題がございません。これもちょっといろいろ動きがございました。問題なのは、無認可のグループホームに入る場合にだれが負担するかという問題が出てまいります。今、市町村、非常に厳しい財政の中にございまして、その負担をめぐってトラブルが随分ございます。要するに実施機関がだれかということでございます。

それで、無認可の場合ですと、居住するということになりますと、グループホーム、無認可のホームがある市町村が負担をするということになります。これで押し付け合いというのが随分ございます。これは何も知的障がい者の施設だけではなくて、医療でもそういう実態もございますし、介護なんかでもそういう実態もございます。ここを何とかしなきゃいけないだろうと。私としては市町村の在り方も含めて本当に今の仕組みでいいのかという非常に大きな疑問がございます。この点について検討していただければなと思っております。

それから次に、三位一体の改革で少し申し上げさせていただきたいと思います。
青いページのちょっと資料をごらんになっていただきたいと思います。資料の5ページに実は介護保険の状況ですね、北海道は御案内のとおり医療費も介護保険も非常に利用が高い。つまり、それだけ財政負担が大きいということになってまいります。私どもは今いろんな福祉に対する支援をしていこうと思っておりますけれども、実はこの介護保険制度も大きな問題でございます。

この表の、ごらんになっていただければお分かりだと思いますけれども、要支援・要介護の認定率という表が大体中段の下にございます。平成12年が13.8、平成14年が実に18.1でございます。たしか12年の、13年ですか、レベルで全国で11.幾つという数字だったと記憶しておるんですが、これほどすごい数字になるというのは予想を超えております。なぜこうなったのか。これは、私思いますのには支援、自立をできる人も自立させないんです、この仕組みというのは。これが非常に実は問題でございます。こういうことがあって非常に財政的な負担がございます。

それから一番最後のページ、ちょっとお開きいただき、今の青い表ですね、失礼しました、12ページごらんになっていただきたいと思うんです。これは知的障がい者の福祉費の決算額の推移でございます。昭和60年から平成15年度までの伸びを示してございます。
私どもの北海道伊達市は、私は昭和58年に市議会議員になりましたけれども、当時の税収が28億5千万、今現在幾らかといいますと30億8千万程度でございます。ピークで33億ぐらいでございますから、いかに負担が大きいかということでございます。それにもかかわらず一生懸命我々は取り組んでまいりました。

13ページをお開きいただきたいと思います。ここで私は国の三位一体の改革に非常に期待をしました。本当に実のある、そして自由に使える、市町村が自主自立できる改革が進むだろうと思っておりました。しかし、ごらんになっていただければお分かりのとおり、三位一体の改革の影響ですね、1億2千3百万減で、二ですね、二の国の三位一体の改革で、そして措置されたのは5千8百万ですから、実に半分以下、措置率は68ですけれども、実質半分以下と。

この中で問題なのは、保育所の運営負担金が減らされていると。伊達市の保育所というのは五園ございます。そのうち四園が公立です。これは歴史がございます。私は市長になって、職員を約1割以上減らしました。にもかかわらず、今の地方自治制度の中でどうやって保育所を民営化できるんでしょうか。しかも、民間保育所と常設の市の公立保育所の違いというのは、一園当たり約5千万財政負担が多いわけです。それはなぜかといいますと、さきの三田さんのお話にあった施設の人件費と同じ理屈なんです。でも、我々はそれに対して何もする手だてもございません。だから、減らすことができるんであれば私はやりたいと思います。にもかかわらず、なぜこういう改革が進むのか。もっと違う方法があったんではないかなと思います。これが非常に私としては不満でございます。

三の歳出削減の取組で、これほどの減らしを1年間ですらやっていると。やってもやっても実は追い付きません。ですから、介護保険を含めて福祉に対する中身をもうちょっと考えていただかないと、もう我々がなすすべもない。実際に必要とするものに支援すらできない状況だということを是非お分かりいただきたいと思います。
そこまで私言うつもりではなかったんですけれども、あえて申し上げましたのは、もう高齢化に耐えられないと。にもかかわらず、我々は何かをしなきゃいけない。ましてや市町村長というのは、私も市長になって、5人集まればタウンミーティングでもう5年間やってまいりました。行くといろんな方がおりまして、最後は泣かれることもございます。それにも耐えて、切るものは切る、付けるものは付けると。でも、もう付けるものはできません。ですから、私が言いたいのは、切れるものは切りたいんです。しかし、切れないものは切れないんです。ですから、中身を十分精査されまして、努力した跡を認めてほしい。

ちなみに、平成16年度予算で、公債費、市債ですね、発行は約14億ちょっとです。しかし、いわゆる公共事業に使う市債というのはわずか4億を切っています。ピークのときには約23億、前の市長さんのときは23億ぐらいの市債を発行しております。これはほとんど公共事業です。実際に今14億のうち10億は借換債でありますとか、いわゆる赤字公債なんです。これだけ減らしても、財政は健全化の道すら見えない。一体どうしてなのか。私は非常にそれに対して不満でございます。ですから、もう少し国も地方の痛みを、中身を十分理解して今後の社会保障政策を進めてほしい。

最後に申し上げたいのは、自立できる人はちゃんと自立させる仕組み、何でも支援すりゃいいというものではないと思うんです。その中身を十分精査されますことを私なりに意見として申し上げまして、終わらせていただきます。ありがとうございました。
狩野会長
次に、武田参考人にお願いいたします。武田参考人。
武田牧子・参考人
私は、島根で精神障がい者と一緒に活動している現場を中心にお話をさせていただきます。(資料映写)

人は健康で長生きを願います。しかし、人生の途中で予期せぬ出来事として病気や事故が降り掛かってきます。日本の医療は世界でも最先端の水準にあり、本人も家族も最善の治療を願い、一日も早い回復を願います。しかし、悲しいことに、精神医療だけはいまだ先進諸国の中でも最も立ち後れた医療分野です。

昭和43年、クラーク博士は精神科医療を是正するように勧告したのですが、当時の厚生省は無視したのです。結果、スライドにありますように、日本は悪循環を繰り返し、三田先生がさきの報告にあるような事態を招いたのです。
私は、まだ精神衛生法の時代の27年前、精神病院に勤務しました。それまで総合病院しか知らない私には未知の世界、すべての窓に鉄格子、病棟入口のかぎ、20人以上の大部屋、これが精神医療かと恐怖に近い感情を覚えました。そして、後に分かったことですが、初めて入院する患者さんは私と同じような恐怖を抱いたままの入院だったのです。

我が国十何万の精神病者は、実にこの病を受けたる不幸のほかに、この国に生まれたる不幸を重ぬるものと言うべし。精神病者の救済、保護は実に人道問題にして、我が国目下の急務と言わざるべからず。大正8年に呉秀三が怒りを込めて言った言葉がいまだ過去のものではないのです。

精神医療とは一体何かの疑問から、病院改革に乗り出しました。しかし、病院内の処遇を幾ら改善しても、また入院です。患者さんから幾度も、退院しても行き場がない、働きたいけど働く場もないと訴えられました。医療だけでは駄目だ、地域の行き場を作らなくてはと、病院を辞めて作業所を開設しましたが、今度は、地域福祉の限界が立ちはだかっていました。

現場でひしひしと感ずるのは、精神障がい者が地域で暮らすには生活就労支援システムとそれを支える良質の医療が基盤になくてはならないことです。ほかの医療と同じように、生活を考慮した適切な医療と、休日や夜間に調子を崩しても受診できる総合病院の精神科救急システムの整備を早急に望みます。

精神障がいは、身体障がいのように外見からは見えない障がいです。スライドにある質問は、市民の皆様からよく寄せられる質問です。資料2ページにあるように、お一人お一人の方に説明しています。地域で暮らしたい、社会で働きたいの声を実現するために、町の中で、地域社会の中での取組を目指してきました。

17年たった現在の活動先は、商店街、住宅地の中にこのように点在しています。現在は、就労、日中活動の支援として作業所、通所授産施設、事業所など、町の中での取組をしています。

就労支援は、実際の仕事や職場のある町中で行うのが職業リハビリテーションと考えています。架空の場所ではいつまでたっても実践の役には立たないのです。生活住居支援として、福祉ホーム、グループホーム、在宅支援など、住宅地での取組は、地域住民の力をおかりしながら、暮らしの中、人の中での生活リハビリテーションが基本と考えます。就労支援と生活支援の二つの柱を一体的に取り組んでいます。

百名余りの利用者のうち約40名の方が住居サービスを受けています。その住まいは住宅地に造る、あるいは借りることを大切にしてきました。人と人との日々の交流がお互いを分かり合える原点だと考えるからです。地域住民の力をおかりし、地域のアパートにつなげるのです。
生活訓練施設からグループの生活を始めるに当たって利用者の一番の不安は、夕食をどう調達するかということでした。そこで、グループホームのある自治会の主婦に夕食作りのためのヘルパーをお願いし、1時間7百円で調理していただくことにしました。これは思わぬ効果をもたらしました。

地域の方は、偏見があるというより、精神障がい者がどういう人か知らない方が多いのです。知らないことはだれでも恐怖感や偏見を抱きます。知らないがゆえの偏見であれば知ってもらえばよい、この主婦の方のおしゃべりを通じて、彼らが個性豊かな一人の生活者として地域の方に知っていただくことになったのです。地域の人に家事援助をお願いすることは、利用者が少しでも早く地域住民として受け入れていただくのに最も適した方法と考えます。今では、お母さん、お姉さんの役割を担っていただいています。

地域生活支援センターは、精神障がい者の拠点であり、またリハビリテーションの入口です。発病間もなく自宅に閉じこもっている人が社会に出るきっかけをつかみたい、退院は間近だけど就労するには不安があるなど、相談は本当に多様です。一人一人支援内容は異なりますが、まず家から一歩出ることが最初の目標です。そして、仲間同士支え合ったり、スタッフのアドバイスを受けて徐々に自分の人生をどのように歩むかを考え始めます。デイケアセンターの役割もあります。

作業所の場所は、町の中にアクセスの良い場所を選定しています。地域の方と日々交流し、通いやすいことは重要な要素です。ほとんどの方がJRを利用し、通勤しています。それぞれの駅から徒歩8分以内です。毎月1回、利用者は清掃ボランティアに行っており、駅員さんともすっかり親しくなりました。その行き帰りには当たり前にあいさつが交わされます。

第二作業所は重度の方が多く、憩いの家の機能が主体ですが、第一や工房への利用を前提に利用する方もあります。仕事は二の次、自分のペースをつかむ場所です。昭和商店会にも加盟し、町の美化運動など一緒に活動しています。

第一作業所は、精神、知的、身体、三障がいの合同利用です。職業リハビリテーションの機能を重視した作業所です。国道沿いでショップを経営していますので、毎日お客様に来ていただいています。8割の方が何らかの形で就労を望んでいます。障がいの程度は様々ですが、利用者はそれぞれの能力を最大限発揮して働いています。高い工賃を出すためには作業場の改善や営業努力が必要です。

通所授産施設も職業リハビリテーションとして一般就労にむけて訓練を行っています。作業種目はパン製造が中心です。まるべりーのパンは国産小麦と星野酵母が主原料で、副材料も地域とのつながりを大切に、可能な限り地元の農産物を使用しています。子どもたちに安心して食べさせることができることと日本の農業自給率を守るの二つの視点を大切にし、消費者のニーズにこたえています。

商品は全国各地に出荷しています。毎日10時過ぎから出雲市から松江市内のスーパーまで納品に出掛けます。スーパーから見れば納品業者にしかすぎません。配達は様々な仕事があり、職業訓練を現場で行うことができます。平成14年のワールドサッカーではアイルランドチームが出雲市にキャンプをしました。滞在先のホテルのコック長は、選手の健康管理上、主食であるパンに最も気を遣い、数あるパン屋の中からまるべりーのパンを選んだのです。

出雲市のショッピングセンターの中ではパン屋をしています。現在、2人の方が働いています。お客様の来店はもちろんですが、近所の八百屋、花屋、総菜屋さんはいつも声を掛けてくださいます。組合員として一緒に経営努力をしています。
道の駅では、商品の納入はもちろんですが、トイレの清掃、花壇管理、その他人手が必要なところを仕事として委託を受けています。国道沿いにあり、ひっきりなしのお客様なのですが、山陰一きれいな道の駅の評価を受けており、お客様からお礼を言われるのが一番うれしいとメンバーは言っています。

道の駅には様々な仕事があります。また、就業形態も仕事の内容によって異なります。土日、祝祭日のお昼2時間、皿洗いと下膳の仕事を受けています。時給は1人750円です。ほかのアルバイトと変わりません。この仕事は社会に出る大きなきっかけ作りと自信を得ることにつながりました。

就労経験のない人にとっては一般社会で働けるだろうかと大きな不安を抱えています。初めて自転車に乗る練習では、最初は転びます。失敗して元々、チャレンジすることが大切をモットーに利用者に働き掛けたところ、彼らは持てる力を十分発揮できるようになりました。まず、短時間からお客様の前で自信を付け、次につなげる場所となっています。また、障がいが重い利用者は就労はかなりハードルが高いのですが、社会の役に立ちたいと思う気持ちは変わりません。自分のペースでできる花壇管理をそれぞれのペースでこなしています。いろんな働き方が必要なのです。

道の駅での仕事の成果から、四季荘という温泉の浴室と休憩室の清掃をグループ就労として導入し、今ではすっかり日々の仕事として定着し、お客様から驚くほどきれいになったと評価をいただきました。決していい加減な仕事はしない、これが合い言葉です。その仕事ぶりから、平成14年からは番台の仕事をいただきました。ジョブコーチを利用しながら雇用につながっています。農家から畑の管理や草刈りなどの仕事をいただくこともあります。

現在の就労支援の状況と商品の納品先です。まるべりーが地域の方に知られるようになった一番のメッセンジャーはパンとクッキーです。安心、安全なパンやお菓子を提供する、このコンセプトが地域の方に受け入れられているのです。

作業所時代から地域の方に関心を持っていただく一つの手段として、知らないがゆえの偏見なら知ってもらおうとパン作り教室をしています。この13年間の述べ利用人数は1万人を超えています。子ども会、婦人会、学校の授業、老人会、生協組合員さんなど様々な方が参加してくださいます。そして、口をそろえて、だれが先生で、だれが生徒か分からない、うちは先生という呼び方はしていないんですけれども、要はスズメの学校ではなくてメダカの学校だということが言いたくてこうしています。精神障がい者は怖い人だと思っていたけれども、こんなに一生懸命社会復帰の努力をされているのですねと感動してくださり、これからもまるべりーのパンを買うことで応援しますと心強い支援をいただいています。

施設に来てもらうだけでなく、利用者と一緒に地域の活動にも参加しています。また、職場体験学習や福祉学習、町の探検隊など、小学校との交流も盛んです。
平成16年度通所授産建設予定地は松江市の中心街です。天神町商店組合の方から町づくり、商店街の活性化に一緒に取り組んでほしいとうれしいエールをいただいています。御多分に漏れずこの町も空洞化が進んでおり、私たちと一緒に町づくりをしようと毎月25日には天神市をやり出してもう1年になっております。

池田小学校事件のときには多くの精神障がい者や家族が本当に心痛いたしました。そのとき利用者の1人が朝日新聞に投稿した記事です。精神に障がいを負った人ほど社会に出て働きたい、人のためになることをしたい、人と気持ちよく心を通わせたいと願っています。心からの叫びです。

この図は、人はだれにでも精神病になり得る要素を持っていることを表した図です。精神病は決して他人事ではありません。だれでもなり得る、私たち自身の健康問題なのです。
この図は回復過程に応じた支援の内容と量の変化を示したものです。大切なのは、先ほど三田さんも言っていらっしゃったんですが、本人の力をいかに引き出し、その上でどのように地域の人たちの力をかりていくかという視点です。エンパワーメントということを私たちも大事にしています。
利用者は病気の次に仕事が高い関心事になっております。先ほど三田さんの資料にもあったし、伊達市の資料も同じような内容になっているかと思います。将来への不安、心配も、就職できるか、働く場があるかということが第1位となっております。
利用者の発病年齢は、就労歴を持つ人が多く、働き盛りが最も高くなっています。働く場所では、商店街、住宅地、企業団地を希望しています。昨年の自殺死亡者も3万人を超えました。本当に今働き盛りの人たちの心の健康の問題、これは単に今私たちだけの問題ではなくて、日本国民全体の問題であると思います。

精神障がい者の特徴は、多くの方が疲れやすいことにあり、多様な働き方が継続の力を生み出します。様々な組合せが彼らの能力を最大限発揮できるのです。就労支援と生活支援の一体的な取組は就労への効果を上げることにつながります。このバランスを見極めるのは医療の専門家ではなく地域で生活を支援する私たちです。

資料7ページ中段に自立した地域生活を送る上での条件をまとめています。時間がないので読み上げるのはやめておきます。
地域生活支援システムの具体的支援項目とキーワードをまとめました。生活支援と就労支援の一体取組が必要です。生活支援は病院の敷地内では不可能です。生活支援は地域の生活の場での取組が基本です。就労支援は多様な働き方が必要です。ピア、当事者の支援は専門家並みの、あるいは専門家以上の効果をもたらします。

私たちのところには医学生がよく実習に訪れますが、そのときに利用者が医学生に語った言葉です。地域の資源があってこそ自らを信ずることができるようになった。住居と居場所と食が確保されていれば私たちは今ある能力を最大限生かすことができる。仲間が集まることにより独りではないという安心感と情報交換ができ、教育を受けることにより新たな可能性の発見ができるようになった。失敗も経験の一つだと認めてくれる人がいて新たな挑戦ができる。様々なシステムが存在することによって選択が可能となり、自己決定による人生の幅が広がる。

2年前に僕なんか生きる価値もないと言っていた青年が、1年後には生きたいからシートベルトを締めることにしたと、近所のもち屋で働き、今ではこのおもち屋さんになくてはならない存在になっています。自信をなくした青年は湯ノ川温泉の番台で働いています。私たちが仕事を続ける原動力は自信を知った彼らの笑顔があるからです。

お手元の資料の8ページ以降は、退院から地域生活へのアプローチと、地域生活を送る上でのシステムや資源を事例を基にライフステージごとにまとめたものです。是非、お目通しくださるようにお願いいたします。
精神障がい者も1人の国民として、地域生活者の1人として豊かに暮らせる社会を作っていただくことを先生方に心よりお願いいたします。
これで活動の報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。
〜 中略 〜
神本議員
今日は、貴重な御意見を本当にありがとうございました。
先ほどの就労のお話、目に浮かぶようで、私も小学校の教員を前しておりましたときに知的障がい、自閉症の子どもたちと生活していてそういう場面たくさん遭遇しましたので、そういう意味で聞かせていただきました。

一点目は、三田参考人に、そのお話ともちょっと関連するんですが、いわゆる専門性、障がい児者の教育に携わる、あるいはそういう訓練や療育にかかわるというようなその専門性ということに、かなりSHGというんですか、本人活動が始まる、出てくることによってその辺の評価が変わってきたというようなことがちょっと資料の中に書かれていたように思うんですけれども、例えば子ども、障がい者の方が、何かができないとか足りない、これをいわゆる健常者と言われる人たちに近づけるために訓練、教育をするというようなことではなくて、もっと違う専門性があるのではないかということを私も感じてきたんですけれども、その点について一点と、それと関連して、じゃ今、障がい者基本法の中でも、障がい者の権利、障がい者は人として障がいの有無にかかわらず生きていく権利があるとうたわれているんですが、その権利の中身がちょっと具体的になっていないんではないかと思うところもありますので、福祉、御専門的な立場から、それこそ今の社会における障がい者の権利というのはどういうものなのか、ちょっと理念的なものになるかもしれませんけれども、お話しいただきたいのが一点です。

それから二点目は、お三人の参考人の方、皆さんにお聞きしたいんですけれども、今学校教育はいわゆる別学体制ということで、一部交流はやりますけれども、養護学校と普通学校というふうな別学体制になっています。その中で、障がい児もそうですが、障がいのない子どもたちも別々ですから、だけれども、地域の中や大人になった社会では一緒に生きていくわけですけれども、そこへの影響といいますかね、もしこれが本当に完全に統合された教育であったら私はどんなにいいだろうと思うんですが、今の状態でも伊達市のように本当に視線を感じない町ってすばらしいなと。

私、障がいを持った子と一緒に歩きながら、刺さるような視線、突き刺さるような視線を感じたこと何度もありますから、学校の教員であってもそうなんですよ。障がい児と一緒に歩いていると、何でこの子を黙らせられないのというような視線を感じますから、親御さんなんか特にそうだと思うんですが、そういうものを感じないで生きていける社会ってすばらしいなと思いますので、目指す共生社会を作っていく、そういう地域を作っていくに当たって、今の学校教育体制というものに対する御意見、コメントがあればいただきたいと思います。
以上です。
三田優子・参考人
さっきから厳しいことを言いまして、専門的な援助、援助者というのはどうなのかということを言ったんですけれども、その専門性の中身は何なのかということに関しては先ほどの調査結果をお伝えしたんですが、初めに言ったように、半分以上が知的障がい者御本人の方と一緒にやっていて、その専門性について、これも一つ報告書を出しております。

そこで、当事者の方がやはり一番強調したのは、やはり本人の思いを聞けない職員は給料泥棒という言葉を使いました。対人サービスである福祉職員が障がいを持っている人と話ができないという現状を体験している人が圧倒的に多いんですね。それは、ずっと入れておいて意見を言えないようにしているという次の項目にもかかわってきて、意見を言っていいんだよと言いながら、言ったらたたかれたという人もいるんですね。その辺の、私もちょっと初めはよく分からなかったんですけれども、それが何かあれば本人の能力云々といって蚊帳の外にさせられてしまうといったことにもなるんだと思います。

それから、じゃ地域ではどんな専門的な援助あるいは専門的なものが必要なのかといったときに、彼らが言ったのは、もう三つのポイントでした。とにかく自分たちの意見をきちんと聞ける人を数多くつくってください。それから二番目は、聞いただけではなくてすぐに行動できる人を置いてください。そして三番目は、本人が自分でやれることに関しては励ましてくれるような人を置いてください。非常に奥が深くて私は感動して、自分で説明するよりもいつもこれを使います。一番が、自分たちの意見をきちんと聞ける人、二番目が、聞くだけではなくてすぐに行動する人、三番目は、本人が自分でやれることを励ましてくれる人というふうにおっしゃいました。私は大学でもこれをよく言いますけれども、非常にこれは重い言葉だと思います。

最初は意欲を持っていた若い職員も古い職員に操られて同じになるという、こういうこんな文書までこの報告書に入っていて、これ厚生労働省に出したんですけれども、どう受け取っていただいたのか分からないんですが、やはり福祉職の研修ということが本当に今生きているのかどうか分からないんですけれども、というふうに思っています。

それは、もうごめんなさい、申し訳ないですけれども、養護学校というやっぱり教育の場でも同じことが言えて、養護学校に私行くことも多いんですけれども、地域にグループホームというのがある、生活支援センターというのがあるというふうに知っていらっしゃる先生がほとんどいないんですね。それを考えると、やっぱり養護学校から出た方が行き場所としてトップに38%の人が入所施設に入るという現状を生み出してしまうのは、ちゃんと就労ができなければもうないというような、さっきの就労の話とつながるんですけれども、非常にもったいないことをしているなというふうに思ったりもしています。

それと、ごめんなさい、権利ということですけれども、先ほど、今日の資料の最後にも置きましたけれども、玉木さんという方が権利について資料を、言って、あれをですね、何が大切かというと、それを当事者に伝えていないんです。権利擁護センターできました。第三者評価委員とか、あるいは先ほどの保佐人だとかなんだとかって、いろんな仕組みもできているんですが、本人が全然知らないんです。全然知らなくて、ある政令都市の権利擁護センターに職場でセクハラを受けているという知的な障がいを持つ人が相談に行ったところ、話を始めたら止められて、まずこれを読みなさいと渡されたものがあったそうです。それは、要はこのセンターを利用するに当たっての申込書だったんですね。申込みをされたメンバー以外にはこんな立ち入ったことは聞けないということで申込書を渡されたんですけれども、そこには1個も仮名が振っていなくて、甲が乙にとかって、よく分からない難しいものだったそうで、知的な障がいを持つ人が読めませんと言ったら、読めるようになったらおいでと追い返されたというような例もあります。これが、とても仕事をやっているという権利擁護センターの実態なわけです。

権利というのを言って掲げるのは大切ですけれども、本人に届いていない、使えないというので、やっぱり聞くのは本人ですよね。やっぱりそれをやらないといけないですね。この参考人に今度、精神障がい者、知的障がい者、身体障がい者とかを呼んで聞いていただきたいなと思ったりしました。
以上です。
菊谷秀吉・参考人
別学体制についてですけれども、実は私もさっきのタウンミーティングで、肢体不自由児を持つ親の会というのが毎年呼ばれます。呼ばれていろんな意見交換して、最後には、親は大体20人ぐらい集まるんですけれども、一人一人意見を言いながら、もう最後は泣かれてしまうんです。もう最後わんわんと泣かれて、まあ情に訴えられるわけですね。何を言っているかというと、この別学体制なんです。要するに、自分の子ども、特に障がいを持った子に対する思い入れというのは特に強いんです。そうすると、自分の近くに置きたい、その受入れを市はやってくれないということに最後なるんですね。

私どもは、先ほど申し上げたように、できるだけのことはしています、やれる範囲で。ですから、ほとんどは実は受け入れています、今現在は。しかし、これも実はもう私も大変なのは、財政負担がすごく大きいんですね。例えば、重複障がいを持っている子1人のために1教室を空けなきゃいけない。市内でも小学校は8校ございますけれども、できれば1校にしてくれるとまだいいんですね。ところが、自分の兄弟がこの小学校だからここにしてくれということでやられちゃうと、非常に苦労している。ここで最後いつもやってしまうんです。やっぱりわがままはわがままだと、市のことも考えてくれということでやっています。

でも私は、できるだけそれをやりたいと思っているのは、今の子どもというのは、兄弟1人か2人しかいません。人の苦労って知りません。ですから、こういう障がいを持つ人を同じ学校の中に入れてみるということは非常に大事です。そして、それを一緒になって支えていこうという、教育の場で最も大事なことではないかと思っていますので、やれることはすべてやろうと、しかし財政は相当厳しいということで思っていますので、是非、できるだけ自分の地域で支えていくということが大事かなというのは、これは子どもの教育にとっても重要だなと、こう感じています。
以上です。
武田牧子・参考人
私も、この別学についてはいろいろなことを今、悪いものを生み出しているんじゃないかなと思います。

私、昭和26年生まれなんですけれども、小学校の低学年までは地域に確かに今思えば知的障がい者、聾の方も聴の方もいらっしゃったんです。ところが、あるときから私の住んでいる町に障がい者と呼ばれる方がいなくなっちゃうんです。本を逆さに持って歩いている人を見ました。いろんな人がいたのが急にいなくなっちゃった。それが、この仕事をするようになって、昭和36年ですか、ああ、法律ができたんだ、精神薄弱者福祉法、そして入所施設がどんどんできた。身体障がい者福祉法もできて施設ができた。
見てみると、歴史と重なっているんですね、地域に障がい者がいなくなったのと法が施行されたというのが。最近になってやっと法律って怖いなってつくづく思ったんですが、本当にもし、これ、それこそ子どもが少なくなった中でますます分からなくなる。そうすると、この間、あれは奈良でしたっけ、校長先生が自殺なさる、そういうことが起こってしまうんじゃないか。そういうことがもう起こってしまっている。

やはり、私も4人子どもがいるんですけれども、もし私の子がそうであったら、絶対地元の小学校、中学校に通ってほしいと思うし、先ほど市長さん、わがままということをおっしゃったんですが、要は1人に1教室なんていうのは、それはやはりおかしいので、どうすれば障がいを持った子もその小学校区に通えるのかという仕組みをもっともっとみんなで真剣に考えて、人を付ければいいのか、何をすればいいのか。身体障がいの場合は様々な機器の改善とか校舎改善とかあるかもしれません。でも、そうじゃないものだってあるし、そのとき、じゃ子どもたちの力はかりれないのか、あるいは地域のお年寄りの力はかりれないのか。様々な工夫で何とか一緒に地域の中で暮らせるということが学校教育の中であれば、それこそ心の精神衛生、それをはぐくむことにもつながっていくと私は考えておりますし、たまたまうちは主人が身体障がいで、そしてずっともう生まれたときから精神障がいの人たちと一緒だったものですから、パン屋さんにたくさんの従業員がいると思って育ったんですよね。

やっぱり日ごろ、さっき市長さんがおっしゃったように、日ごろ一緒にいると、変わった人かもしれない、個性豊かな人かもしれないけれども、でも住人、あるいはうちなんかグループホームがうちの敷地内に、どうしても一番最初のグループホームだけは慎重だったために、本当にちっちゃいちっちゃいときから一緒に育ったものですから、もうおじちゃんでしかないわけですよね。それが妄想がひどくなって、児童誘拐事件なんかがあると、もううちの当事者が中学校の門のところで待っているんです。まっちゃんがさらわれるといけないからって。うちの子が恥ずかしいからやめてくれというのを言って、そんな形で、じゃ、あなたは同級生にどう説明したのと。いや、実はこうこうでうちの隣にはこういう人が住んでいてと。うん、そのことが大事だよね、じゃ、あなたの口からそのことを、あなたの気持ちは分かるけれども私は迷惑していることを伝えなさいと。一緒に暮らしているからそういうことが起こってくる。

私は、学校教育は、可能であれば私が生まれたときに戻してもらって、でもあのときは偏見が本当に大きかったし、専門的な支援なんか受けれなかった。そうじゃなくて、これだけ国が豊かになったから、でもお金はないから、お金がなくてもできる地域力とか共生社会というところを目指して、どうすれば地域で子どもたち、障がいがあるなしにかかわらず一緒に暮らせて、そして心の健康の問題も小学校のときからエイズやハンセンと同じように、ハンセン病も同じ歴史をたどっているけれども、もう片付いた。でも、精神の問題は全然片付いていない。何とか子どもたちに一緒にそういったことも含めて教育をしていただけないかなと思います。

それと、教育の問題では、がんとかなんかは本当に病名告知進むようになりました。でも、精神病はいまだに告知を受けている人が非常に少ないです。したがって、社会、その先の展望、先ほど養護学校出た後、学校の先生が知らないとおっしゃいましたよね、三田さん。精神もそうなんですよ。病院の先生が社会復帰施設のことを御存じない。だから、入院させておくんです、かわいそうだからと。そうじゃなくて、病院の先生、お医者さんが、あるいは病院にワーカーがきちんと配置されて、そして地域の仕組みをきちんと説明できたら、恐れることなく地域に出てこれると思うんです。そういったソフトの部分がとても不足していると思います。
そういったようなことを、是非あるといいなというふうに思います。ちょっと長くなりました。
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